街づくりニュース

老舗の秘密、江戸っ子の”粋”の神髄を知る。
一日江戸人、江戸文化の中心地域探索vol.1

2016.04.25 イベント情報

日本を代表するオフィス街という印象がある東京・京橋の街。しかし、その奥には、江戸から伝わる粋な文化と、熱い魂が息づいています。ふらりと散歩しても楽しい京橋の街を、更に楽しむために、(公益)インテリア産業協会・JAFICA日本伝統文化研究所(※)が共催した『江戸文化の中心地域探索』に参加いたしましたので、2回に分けてレポートいたします。
※JAFICA(日本フリーランスインテリアコーディネーター協会 ):インテリアコーディネーターのプロ集団。快適な住空間の実現のため、文化継承など社会貢献活動を行う。

1本ウン千万円⁉ 日本の職人のスゴ技万年筆世界を知る

vol1_01_2_680_453

日本を代表する筆記具メーカーのパイロットコーポレーションは、大正7年(1918年)創立。船の機関士だった和田正雄と並木良輔という明治の文明開化を生きた二人の男が“世界に通用する品質の高い商品を作り、日本人の心意気を世界に示したい”という熱い想いで創業。このペンステーションは、日本唯一の筆記具博物館で、貴重なペンのコレクションや創業からの商品を展示しています。1968年発表の『エリートS』(大橋巨泉さんのCMで話題になった万年筆)などの展示品を見て「懐かしい」と言う参加者も多数いらっしゃいました。特に目を奪われたのは、日本の蒔絵まきえ技法による万年筆。ペン軸に螺鈿らでんや漆で波や花、鯉や鳥などが細密な職人技で描かれていました。
その中でも参加者の注目を集めたのは、昭和初期に英国ダンヒル社と提携して生まれた伝説のブランド『Dunhill-Namiki』の万年筆。館長の熊沢久美子さんが「中には高級な外車が買えるほどの値段が付くものもあります。」と説明すると、どよめきが。創業者のふたりの“世界に日本の技術と心を示す”という想いは、パイロットコーポレーションの商品に今も息づいています。
※ペンステーションミュージアム&カフェは、ビルの建て替え及び一時移転に伴い2016年3月29日をもって閉館・閉店いたしました。

名称:ペンステーションミュージアム&カフェ
住所:東京都中央区京橋2丁目6番21号

明治時代、フランス人に初めて海苔を食べさせた⁉ 山形屋海苔店

vol1_02_680_453

続いて一行が訪れたのは、日本を代表する老舗のひとつ・山形屋海苔店の本店。創業以来250余年の歴史と技を重ね、海苔の本物の美味しさ、自然の味わいを今に伝えています。参加者はここで試食をしたのですが、山形屋の海苔ならではの香ばしい磯の香りにうっとり。何代にもわたるファンがいることも納得した瞬間でした。
実は、この山形屋海苔店、ただ技を守っているだけでなく、さまざまな革新的な取り組みを行っています。例えば、焼き海苔。かつて海苔は、食前に炙ってから食べるというのが一般的でしたが、明治初期にいつでも焼きたてが楽しめるように日本初のビン詰め焼海苔『貯蔵かこい海苔』を創案。湿気を予防するために錫箔で密封したそうです。さらにこの商品を明治11年(1878年)に、フランスで開催された世界大博覧会に出品。当時、日本のことなど知らなかった世界の人々から驚きと共に絶賛され、欧米の人は、紙のように薄く黒い食べ物『海苔』の魅力を知りました。それと同時に、日本という国に興味を持つきっかけになったそうです。その他には、『紫薫』という最高級海苔のブランドが人気です。パッケージのデザインは、昭和39年(1964年)の東京オリンピックのアートディレクションで知られた亀倉雄策氏。揮毫きごう町春草まちしゅんそう氏が手がけ、昭和46年(1971年)に発売され、贈答品としても人気を博しています。ほかにも『味付け海苔』は、山形屋海苔店が開発したとか。革新的な海苔を考案してきた山形屋海苔店は、今日も日本の食卓を楽しく豊かにしています。

名称:山形屋海苔店 京橋本店
住所:東京都中央区京橋2丁目6番21号

京橋周辺にある3つの親柱の秘密を追え、コードネーム・擬宝珠に隠された秘密

vol1_03_680_453

京橋という地名はこの地に掛けられていた橋の名前が由来です。「京橋」が架かっていた川は、昭和34年(1959年)に埋め立てられてしまいましたが、古くから江戸っ子たちの生活に欠かせない橋のひとつでした。
橋としての京橋の歴史は、慶長8年(1603年)まで遡ります。これは、日本橋と同時期という伝承も。名前の由来は、東海道の起点である日本橋から京都へ向かう最初の橋だから、と言われています。
現在、この地には3つの親柱が残されています。橋の北詰東側(京橋交番前)と南詰西側(警察博物館前)にある親柱は、明治8年(1875年)当時の石造のもの。江戸時代の橋の伝統を引き継いだ擬宝珠の形をしています。江戸市中のご入用橋(幕府が維持費を出していた橋)のうち、擬宝珠で飾られたのは、日本橋、京橋、新橋のみ。京橋の格式の高さがうかがえます。擬宝珠の玉ねぎの様な形は、玉ねぎの様に大地に根を張って流れない様にという想いが込められていると、ツアーに同行していただいた江戸町火消し『せ組』の鳴島さんに教えていただきました。さて、3本目の柱は、警察博物館から銀座方面に向かった左手にあります。これは、大正11年(1922年)に架けられたもの。石とコンクリート造が大正モダンな雰囲気です。この親柱から中央通りを挟んで、向かいにある、とんがり屋根が目印の銀座一丁目交番は、この親柱の近くにあったガス灯をデザインしたもの。ぜひ、お散歩がてら京橋にいって、橋にまつわる謎を、確認してみてください。

名称:京橋の親柱
住所:東京都中央区京橋3丁目及び銀座1丁目(旧京橋橋詰)

まだまだある京橋の魅力は、次のレポートでご紹介いたします!

RELATED POSTS 関連記事

ARCHIVE アーカイブ

SNAP 京橋スナップ