インタビュー

合い言葉は“Like A Big Tree.” 住民主導で始まった再開発プロジェクト

京橋二丁目西町会会長:冨田正一

2015.10.02

京橋に暮らし、働く人の夢が原動力  

私が、京橋二丁目西町会の会長をお引き受けした時に感じたのは、「ここ京橋を、今の時代感覚・社会環境に合った町にしていきたい」ということでした。
銀座も、日本橋も、広く社会のために、今の時代に合う建物や町のあり方になっています。しかし、京橋一帯を見ると、メインストリートには企業の本社ビルが立ち並び、一歩路地に足を踏み入れると、どこも昔と変わらぬ街並みでした。「東京駅の真ん前がこれでいいのだろうか」という思いを抱き始めたことをきっかけに、町内で集まり議論を始めるようになったんです。その中で、「京橋も生まれ変わらなければいけない。今の時代感覚に適応した、もっと安全で、魅力的な町にして、次の世代に繋げたい」、そんな気持ちを共有するようになりました。
そして、京橋の再開発について、町会から中央区へ申し出ました。そのように、まさに今進められている京橋二丁目の再開発のきっかけは、行政からでも開発業者から持ちかけられたものでもありません。町の人たちが、町のために一丸となり自発的に立ち上がった結果のプロジェクトなんです。
ですから、再開発に参加する町の人たち一人ひとりに、「こんな町になってほしい」という夢や思いが宿っています。そんな私たちが議論の末に導き出した統一のコンセプトは、「Like A Big Tree.(大きな木のように)」でした。私達の想いを引き継ぐ次の世代の人たちにとって、年数が経てば経つほど豊かに繁り、大きく成長する木のような町であってほしい、私たちの思いはここにあります。「大きな木のように」、この言葉を芯に据えて、私たち町会は再開発の夢をスタートさせました。

この再開発では、京橋を「できるだけオープンな町に」したいとも、私たちは考えています。京橋という町の役割を考えると、隣接する銀座や日本橋は商業の町であると感じますが、その間にある京橋は、安らげる場所、つまりここに立ち寄る様々な人にとって、買いものをして、少し疲れたところで京橋に来てみたら、木があって、花があって、ベンチもあってここ京橋がそんな安らぎの町になったなら、まさに Big Tree が作りだす”都会のオアシス”として、この町がとても魅力的な場所になると思うのです。春夏秋冬、それぞれに繁る木、それぞれに咲く花、そして季節ごとに違う香りのする町。ちょっと座って、お茶でも飲んでいこうかという町。そんな新しい京橋に生まれ変わるのを、私たちの町会も楽しみに待ち望んでいます。

京橋に暮らす人々が、地域ぐるみで五輪に送り出してくれた思い出

昔、私は近所では有名なガキ大将で、自分でいうのもなんですが、スポーツ万能なタイプでした。ところが中学生のとき、「オール明治」とニューヨークの「メトロポリタン」というチームのアイスホッケーの激しい試合を観て、初めて「すごいスポーツがあるものだ!」と驚き、奮い立ちました。すぐに「アイスホッケーをやりたい」と一念発起し、明治高校のアイスホッケー部の練習に参加するようになりました。これが、私のアイスホッケーとの出会いです。
小学生の頃、私は疎開先でつらい経験をしたものですから、「何かをやり遂げて、冨田正一は、すごい奴だと思われたい」という気持ちを、心の底に持ち続けていたんです。そんな強い思いから、「いつか日本代表に選ばれて胸に日の丸をつけるまで、アイスホッケーを極めてやるぞ!」と決心したのです。
もう一つ、「アイスホッケーの練習環境の整った北海道や青森出身の人たちと互角に競い、東京・京橋で育つ自分にも同じスポーツができるんだ」ということをやり遂げたいという反骨精神のような気持ちもありました。ですから練習も、周りの選手の倍はしたと思います。
私は常にこう思っていました。―いま上手い者は、ずっと続けているうちにどこかで怠け者になる。下から這い上がっていく者は、「もっと、もっと、もっと」と努力するうちに、どこかで上位を抜くことができる―。だから、コツコツ、コツコツ、夢中で練習を重ねていたんです。
その結果、ついに念願のオリンピックチームの一員に選ばれました。「やっぱり神様はどこかにいて、一生懸命やる人間を見ていてくれて、オリンピックに連れて行ってくれるのだな」と、しみじみ感じたものです。

さあ、この京橋という町から冬のスポーツのオリンピック選手が出たものですから、町の人たちは驚きました。横浜から氷川丸に乗ってカナダのバンクーバーに向かうのですが、そこで京橋の人たちは、2台のバスをチャーターして横浜の港まで送ってくれたのです。みんな「冨田正一」と書かれた幟(のぼり)を持って、「頑張ってこいよ!」と送り出してくれました。まさに町全体がひとつのファミリーのようになって私を祝ってくれ、応援してくれたこと、これは大切な思い出であり、その時の感動的な光景は今でも目に焼き付いています。
京橋は私が生まれ育った町ということで愛着はもちろんありましたが、アイスホッケーを通じてこの町のみなさんに支えられたというあの体験は、今私が抱いている”京橋のために生きたい”という想いの基礎となっています。

京橋を通じてつながるそれぞれの人々が、「京橋ファミリー」

京橋に暮らす人たちには、強い絆があると、私は感じています。日枝神社のお祭り(山王祭)では、皆で御神輿をかつぎ、東京駅前の都心のこの場所に伝統の光景が甦ります。これからは町の外からいらっしゃるご家族連れや子どもたちにも、そのようなお祭りも含めたイベントの数々を楽しんでもらえるような町にしていきたいですね。江戸の伝統を伝える町でお祭りを楽しめる様な、”世代を超えて思い出に残る町”になってほしいと思っています。
暮らす人、訪れる人、働く人。京橋を通じてつながるそれぞれの人々が、「京橋ファミリー」ではないかと、私は思います。再開発で誕生する新しいビルについても、ビルを貸す人と借りる人という関係ではなく、この町に集う人々が「京橋ファミリー」という意識でありたいと思います。
生まれ変わる京橋に、ぜひご期待下さい。

PROFILE

京橋二丁目西町会会長:冨田正一
京橋二丁目西町会会長。アイスホッケー選手として1960年のスコーバレーオリンピック(アメリカ)に出場した経験を持ち、日本アイスホッケー連盟会長、国際アイスホッケー連盟副会長を歴任した。2020年の東京オリンピック招致活動では国際特別戦略委員会のメンバーを務めた。その手腕が、京橋の再開発プロジェクトを支えている。

RELATED POSTS 関連記事

SNAP 京橋スナップ